
浮遊するZEN
06
floating ZEN

老舗の旅館などで出会う食事時の「膳」の上には、大小様々な、皿、鉢、碗、杯などが所狭しと並んでいて、目も舌も楽しませてくれることがあります。記号学者ロラン・バルトは、「日本の食膳の秩序は食事をとるリズムそのものによって壊されたり創られたりする宿命をもつ」と述べています。バルトが日本の食文化に出会った時、彼はそこに西洋での食の在り方と対比的に「中心性がない」ことを見出しました。
それは膳の上にある食器たちの「平面的にたゆたう配置」のことであったり、右へ左へ箸を運んでは食べる順序のない「時間的な優劣の不在」のことを言っているのだと思います。ともすると人は規則正しい配置や明快な順序に縛られがちですが、日本人は古来、身近な食生活の中にも自ら場所や時間を微調整しながら最後は自分でしっくりくるところに落ち着かせるというようなことをしてきました。
それは西洋の石を用いた不動の建築文化でなくて、東洋の木を用いた変化することが当然という建築文化の中で発達し、「禅」の伝来とともに茶室・枯山水・数寄屋に昇華されていった侘び・静寂・幽玄といった感性とも通じていると思います。
また、これには江戸時代に発令された武士、町人に対して布地の種類から染め色までを指定した奢侈禁止令も関係するかもしれません。禁令では着物地は紬・木綿・麻とされ、染め色も派手な色は禁止され、許されたのは「茶色」「鼠色」「藍色」のみと限られる厳しい統制がとられました。しかし庶民たちはこの制限された中で「染」の「微差」を楽しむことに目覚め、その要求に応えるために染め職人たちは互いの技術を競いあい「四十八茶百鼠」の言葉のように茶色、鼠色を微妙に染め分けられる技術を発展させました。
このように衣・食・住のどの分野でも「染・膳・禅」にみられるように、日本人は色彩的・時間的・空間的な可変性や微差、双向性を楽しみ、カスタマイズしていくことを意識的、無意識的を問わず試みてきました。
このような儚い微差を尊ぶ3つの「ZEN」は、変化する時代の中でも日本人の内側に中心のない『浮遊するZEN』として存在しています。
All Photo by HASHIMOTO TSUYOSHI
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