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フラッとフラット

fluffy flat

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大衆銭湯にはその時々の湯加減というものがあると思います。

いざ湯に浸かろうとすると湯が熱い!とても入れぬ、と水を差しているややぬるい場所を見つけてそこに浸る。しばらくして湯の熱さにも慣れてきた頃、不意に「もうぬるいじゃろ」と居合わせたじいさんに差水を止められてしまう。そうしていると、また別に今度は二人の若者が新たに湯に浸かろうとしているのが見え、そして、熱い!!と発した声が聞こえてくる。
私が浸かった時の湯はやや熱かったが、二人の若者が浸かった時は熱かった、そして居合わせたじいさんが去っていった後の湯は若者たちが占めややぬるくなった。

方丈記の有名な冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」は流れる湯と人に関しても同じことが言え、ゆるい動的均衡をつくっています。居合わせた人の組合せで、流れる湯を媒介としながら上下する温度を調整しつつ共有している関係。それは絶えず変化しながらもある一定の均衡を保っています。

そういう関係性のようにチームを考えることはできないでしょうか。その場合「流れる」とはフレームレスなチームの輪郭のことを、「湯」とは共同体の持つ共有意識であったり、共通目的のことを表しています。
あるプロジェクトに対し、まず居合わせたメンバーでの目的意識からスタートしますが、徐々にその目的に共感してくれる人達が集まってきては離れていく人達もいるという状況が生まれてきます。ここでは銭湯の湯のように居合わせた人達ごとの熱気によって、多少上下しながらも入れ替わりながら共通意識を深めていきます。

『フラっとフラット』とはそのプロジェクトに携わるスタンスを言います。後から参画した人ほどどこか後ろめたく、発言権が小さいような状況は偏ったチームをつくります。銭湯にフラッと入るように、必要以上に気を遣わないフラットな気持ちがあれば、そこには対等で発展的なコミュニケーションが生まれると思います。

よりよいものを考えていく中では、分野や立場、参加時期にとらわれないフラットな心構が必要だと思います。それは依頼主、設計者、施工者の関係にも言え、枠にはまった縦割りのやりとりでは枠以上のものにはなりません。無形の同じ湯に浸かって語り合い、時間を共有していくことで固有の形も浮き出てくように思います。
 

All  Photo  by  HASHIMOTO TSUYOSHI

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